第二次世界大戦
昭和21年、戦争に負けたせいで、日本の貨幣価値はめちゃくちゃだった。教師の月給は、150円。進駐軍のために、看板に文字を書くだけの仕事の人は、「UMEDA, OSAKA」などと書くだけで1枚あたり80円もらえたため、2枚書くと、教師の月給を超えた。その後、教師…
太平洋戦争末期、日本軍は秘密兵器として風船爆弾を開発していた。風船爆弾とは、爆弾や焼夷弾のついた気球で、日本沿岸から放流してジェット気流に乗せ、アメリカ本土を攻撃するというものだった。9000個が放流され、約50時間をかけ、アメリカ本土を空襲し…
(2019/12/25 新規) 戦時中、日本軍は、さつまいもを燃料にして戦闘機を飛ばそうとしていた。さつまいもを加工すると、燃料用アルコールが生成できるため、国策としてさつまいもが大量に植えられていた。しかし国内の飢えが進行し、食料増産の方が喫緊の課…
満州事変は、日本の方から仕掛けた戦争なのではないか、というデマが国内に広がったが、実は本当だった(1931年)。日支事変は、日本の方から仕掛けた戦争なのではないか、というデマが国内に広がったが、実は本当だった(1937年・日中戦争)。ノモンハン事…
第二次世界大戦初期、イギリス軍はドイツ軍の暗号を解読し、古都コベントリーが爆撃される情報を事前に入手していたが、イギリスの首相チャーチルはその報告を握りつぶし、古都コベントリーは爆撃により壊滅した。暗号解読の報告を受けたチャーチルは、しば…
昭和13年、ゴムの輸入がかなわなくなった日本海軍は、ゴムを使わない独自のガムを開発していたが、軍事用のガムであったため、中にはコカインが含まれていた。日本海軍が製造したガムは、「小麦粉からグルテンを抽出し、ブドウ糖、砂糖、ビタミン、コカイン…
第二次世界大戦前、日本の暗号機「紫暗号」はアメリカ側にすぐに解読されてしまったため、表面上は平和外交を行っている日本の態度に、アメリカ側はがっかりしていた。紫暗号が導入されたのは1939年。日本側は、暗号が解読されることはないとタカをくくって…
ラジオ体操第一と第二は、それぞれ3代目、4代目のラジオ体操である。初代ラジオ体操は、昭和3年に、逓信省簡易保険局(かんぽ生命保険)によって作成された。職員が体操の図解を配るなどの活動を行った結果、広く親しまれるようになった。しかし、敗戦後にや…
ロッテはもともと石鹸を作っていた。1946年(昭和21年)、「ひかり特殊科学研究所」という会社名だったロッテは、石鹸だけでなく、化粧品、ポマード、クリーム類の製造卸売を行っていた。製菓業への転身をはかったのは1947年。進駐軍のジープのまわりに子供…