昭和30年頃、ビル暖房には石炭が使われていたため、いたるところから黒煙が立ちのぼり、東京の空は、太陽が見えなくなるほどの黒いスモッグに包まれていた。
そのため東京都は「ばい煙防止条例」を制定。
ビル暖房には重油燃料が使われるようになった。
黒煙被害はなくなったが、昭和30年代後半から亜硫酸ガスの濃度が急激に高まり、「白いスモッグ」による健康被害が続出したため、さらなる対策に追われることとなった。
昭和40年代になると、隅田川の汚染は非常に厳しいものとなり、沿岸の金属類は片っぱしから錆びついていた。
BODという水質指標がある。
水中の微生物は酸素を使って汚れを分解するが、この汚れ(有機物)を分解するために必要とした酸素量のことをBODという。
簡単にいうと、一番きれいな水のBODが0ppmで、数値が上がるにつれて水質は悪くなる。
隅田川のBODは、30ppmだった。
飲料用水の基準は、3ppm以下。
悪臭が始まるのが、10ppm以上。
コイやフナは、5ppmを超えると死んでしまう。
アユはもっと弱くて、3ppmを超えると死んでしまう。
目黒川のBODは、隅田川よりもひどく、75ppmだった。
綾瀬川(埼玉〜足立区)のBODは100ppmで、壊滅的な数値となっていた。
下水処理場の設備も貧弱で、下水処理後、川に放流された水のBODは、20ppmだった。
河川の水質改善や、下水処理場の増強には時間がかかるため、これらの河川の沿岸では、悪臭や金属類が錆びつく現象が延々と続くこととなった。
(2020/02/18 追記)
当時、全国の河川では、鯉の死骸がプカプカと浮いていた。