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【歴史】3世紀ごろ、中国ではすでにお茶が飲まれていたが、まだ「茶」という漢字は存在しなかった。

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3世紀ごろ、中国ではすでにお茶が飲まれていたが、まだ「茶」という漢字は存在しなかった。

3世紀半ばの辞書『広雅』によると、茶には「苦」や「茗」という漢字があてられていた。

当時のお茶は、レンガ状に固めた磚茶(たんちゃ)。

お椀の中に、削った磚茶を入れ、そこにタマネギ、ショウガ、ダイダイなどを加えて飲んでいた。

ちなみに磚茶は、現代でもモンゴルなどで飲まれている(ビタミン補給)。

当時のお茶は医療用で、解熱、眠気覚まし、心身強壮に使われていた。

また仏教では、酒が五戒の一つとして戒(いまし)められたため、その代替品として喫茶習慣が広まった。

ちなみに「茗」は茗荷(みょうが)の漢字に使われている。

お釈迦様の弟子に周利槃特(しゅりはんどく)という人がいた。

生まれつき物覚えが悪く、ときには自分の名前まで忘れてしまうこともあった。

お釈迦様は、彼の名前を大書した札を作り、絶えずそれをつけておくように、と言った。

彼は掃除が好きで、日々掃除に精進した結果、悟りを開き、釈迦の高弟の一人に数えられるようになった。

死後、彼の墓からは、見たこともない茶の芽のような草が生えた。

人々は、札を背負って歩いていた彼の姿を思い出し、その草に「茗荷」と名づけた。

「茗」とは茶のこと、「荷」とは肩に背負う荷物という意味である。

ちなみに、茗荷を食べすぎると物忘れをする、という話があるが、これは周利槃特の故事にちなんで、そういわれているだけで、科学的根拠はない。