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【歴史】男性がするものというイメージか強い切腹は、女性もしていた

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男性がするものというイメージか強い切腹は、女性もしていた。

将軍・足利義政の乳母・今松の局は、将軍の妻・日野富子の讒言(ざんげん)により、北国へ流される途中、近江の国で割腹自殺した。

浅野吉長の妻・前田節子は、夫の吉長が遊蕩のかぎりをつくし、遊女を落籍(らくせき)したため、「乱行をいさめる者は家中にいないのか」と憤激して切腹しており、それに殉ずる形で、奥方づきの局3人が相次いで切腹した(徳川家光の時代)。

『鸚鵡籠中記(おうむかごなかき)』によると、1685年からの33年間に、市中の女5人が切腹した。

元禄年間(1688~1704)には、武州・忍(おし)の城主、阿部対馬守の家臣、吉村嘉六の娘、礼津(れつ)は、父を助けるために、父の敵を不意討ちにした罪で縛り首にされるところだったが、「侍なみの切腹」をすることを主君に願い出て、割腹して果てた。

また、近松門左衛門の『長町女腹切』は、1711年に大阪で切腹自殺した遊女がモデルになっていると言われている。