興味あること

興味深いことをいろいろと。

昭和時代

【歴史】昭和21年、戦争に負けたせいで、日本の貨幣価値はめちゃくちゃだった

昭和21年、戦争に負けたせいで、日本の貨幣価値はめちゃくちゃだった。教師の月給は、150円。進駐軍のために、看板に文字を書くだけの仕事の人は、「UMEDA, OSAKA」などと書くだけで1枚あたり80円もらえたため、2枚書くと、教師の月給を超えた。その後、教師…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その8 おまけ(年表)

EXPO'70狂騒曲 その8 おまけ(年表) 昭和42年 7月21日 三菱が日本一高い展望塔を建設しようとしていたが、空路の邪魔になるため中止となった。 昭和44年 1月6日 万国博協会が水道料金を滞納していたため、給水停止の通知を受ける。協会は頭を下げた。 昭和4…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その7 さよなら万博

EXPO'70狂騒曲 その7 さよなら万博閉幕前夜。 お祭り広場で最後の催し物である「さよなら万博博」が行われた。 2~3万人が参加。いたるところで胴上げが発生。 胴上げされた女子は、スカートがめくれてパンツ丸出しだった。 アフリカ館の女性も群衆につかま…

【歴史】戦前の昆虫採集キットには、殺虫剤として青酸カリが同梱されていた

戦前の昆虫採集キットには、殺虫剤として青酸カリが同梱されていた。しかし当時は、自殺が続発していたため、それを防ぐために、昆虫採集用の青酸カリは販売中止になった(昭和11年1月)。

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その6 ついに開催された万博(どこまで続くのやら)

EXPO'70狂騒曲 その6 ついに開催された万博(どこまで続くのやら)北大阪急行(別名エキスポ急行)は、万博会場前に駅を作った。 万博終了後、駅は消滅した。太陽の塔の作者・岡本太郎氏。 太陽の塔の作成意図について。 「意味なんかあるもんか。わからんと…

【歴史】駄菓子屋攻略法(昭和時代)

駄菓子屋攻略法(昭和時代)。落ちているジュースのビンを拾って店に持っていくと、1本10円で買い取ってもらえた(ビン保証料)。アウトローな子どもたちは、店横に積んであった空きビンをそのまま何度も持っていって、10円玉を何度ももらっていた(その後、…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その5 ついに開催された万博(まだ続く)

EXPO'70狂騒曲 その5 ついに開催された万博(まだ続く)全パビリオン制覇には、約12回の入場が必要だった。オーストラリア館の建物を気に入り、その建物を制作したテントメーカーに就職する人もいた。ガスパビリオンには、おしりを乾かすトイレがあった。サ…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その4 ついに開催された万博(続きの続き)

EXPO'70狂騒曲 その4 ついに開催された万博(続きの続き)売店で働いていた人の一日。 店長は、終日勤務。05:30 宿舎で起床 06:30 出発(早番) 07:00 万博会場到着(すでに改札には列ができていた) 11:00 遅番到着 12:00 休憩(1時間) 17:00 早番終了 22:…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その3 ついに開催された万博(続き)

EXPO'70狂騒曲 その3 ついに開催された万博(続き)日本人の総入場者は、6251万人。 外国人客は、170万人。テーマソング「世界の国からこんにちは」を歌ったのは8名。 三波春夫が歌ったものがもっとも有名。 毎日新聞社の公募による作品だった。 ボニー・ジ…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その2 ついに開催された万博

EXPO'70狂騒曲 その2 ついに開催された万博開園前日の徹夜組は40名。 先頭は、日本の青年と、シカゴから来た青年。 二人はどちらも、自分が先頭であると主張した。1970年3月15日、ついに万博が開催された。 開園時、入場券売り場では、お札が乱れ飛んでいた…

【歴史】昔は、買い物のお釣りにガムが渡されていた

昔は、買い物のお釣りにガムが渡されていた。これは、昭和38年に発売された「おつりガム」と呼ばれるもので、1円玉が不足したときに、1枚1円のガムを渡して、お釣りの代わりにするというものだった。ハリスや、キングトリスといったガムメーカーが、地方のス…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その1 開催までの軌跡

EXPO'70狂騒曲 その1 開催までの軌跡万博は、大阪で開催される予定となっていたが、敷地面積を確保することが難しかったため、琵琶湖を埋め立てて開催する案が出ていた。万博の会場には大阪府吹田市が選ばれた。 当時は一面に竹林が広がっていたため、地元の…

【食物】「ごはんですよ」などの海苔の佃煮は、戦後にできた食べ物である

「ごはんですよ」などの海苔の佃煮は、戦後にできた食べ物である。ごはんですよ、の正式名称は「江戸むらさき」。江戸むらさきは、桃屋が開発した。桃屋は、もともと果物の缶詰を主力製品として生産していた。しかし、終戦による輸入の自由化により、欧米の…

【歴史】満州事変は、日本の方から仕掛けた戦争なのではないか、というデマが国内に広がったが、実は本当だった

満州事変は、日本の方から仕掛けた戦争なのではないか、というデマが国内に広がったが、実は本当だった(1931年)。日支事変は、日本の方から仕掛けた戦争なのではないか、というデマが国内に広がったが、実は本当だった(1937年・日中戦争)。ノモンハン事…

【商品】バナナが高級果物だった時代、子供たちの間では、バナナ味の歯みがき粉が流行っていた

バナナが高級果物だった時代、子供たちの間では、バナナ味の歯みがき粉が流行っていた。中には好きすぎて、歯みがき粉自体を食べてしまう子供もいた。バナナは、昭和39年の輸入自由化により値段が一気に下がった。そして、昭和50年代には普通の果物であると…

【服飾】ボウリング場の貸しシューズのデザインがダサいのは盗難防止のためである

ボウリング場の貸しシューズのデザインがダサいのは盗難防止のためである。ボウリングブームが発生した1970年前後、ボウリングウェアは最新のファッションとなっていたため、ボウリングシューズの盗難が相次いでいた。そこでシューズのデザインを、あえてダ…

【商品】1969年に登場したプッシュホン(電話)は、液晶ディスプレイとかも何もないのに、電卓として使用することができた

1969年に登場したプッシュホン(電話)は、液晶ディスプレイとかも何もないのに、電卓として使用することができた。電卓がまだ家庭に普及していないころ、電電公社(NTT)は、女性の音声案内で計算結果を教えてくれる「電話計算サービス」というものを行って…

【歴史】ラジオ体操第一と第二は、それぞれ3代目、4代目のラジオ体操である

ラジオ体操第一と第二は、それぞれ3代目、4代目のラジオ体操である。初代ラジオ体操は、昭和3年に、逓信省簡易保険局(かんぽ生命保険)によって作成された。職員が体操の図解を配るなどの活動を行った結果、広く親しまれるようになった。しかし、敗戦後にや…

【商品】ロッテはもともと石鹸を作っていた

ロッテはもともと石鹸を作っていた。1946年(昭和21年)、「ひかり特殊科学研究所」という会社名だったロッテは、石鹸だけでなく、化粧品、ポマード、クリーム類の製造卸売を行っていた。製菓業への転身をはかったのは1947年。進駐軍のジープのまわりに子供…

【歴史】真珠湾攻撃に成功した日本軍は「トラトラトラ」(我れ奇襲攻撃に成功せり)と打電したが、この「トラトラトラ」は虎ではなくて、なんの意味も持たない言葉である

真珠湾攻撃に成功した日本軍は「トラトラトラ」(我れ奇襲攻撃に成功せり)と打電したが、この「トラトラトラ」は虎ではなくて、なんの意味も持たない言葉である。真珠湾攻撃が行われる前、日本軍は、勝利した場合に無線で報告する打電パターンを事前に決め…

【歴史】ホンジュラスに、サッカーの試合で勝利したエルサルバドルは、さらに追い打ちをかけるかのように、ホンジュラスを空爆した

ホンジュラスに、サッカーの試合で勝利したエルサルバドルは、さらに追い打ちをかけるかのように、ホンジュラスを空爆した。1969年6月27日、ワールドカップ予選の準決勝プレーオフで、両国は対戦し、延長戦のすえ、3対2でエルサルバドルが勝利した。しかし、…