興味あること

興味深いことをいろいろと。

2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

【歴史】江戸時代、年賀の挨拶には扇を贈っていた

江戸時代、年賀の挨拶には扇を贈っていた。年賀用の扇は、たいていは大量生産による安物であった。それでも年賀贈答用であったため桐箱に入れられており、扇売り商人は、桐箱に入った扇を売り歩いていた。医師や商人などは、商売が繁盛しているように見せか…

【暦】うるう年に追加する調整用の1日は、2月の最終日(2月29日)に配置されているが、これはもともと、2月が一年の最後の月だったときの名残りである

うるう年に追加する調整用の1日は、2月の最終日(2月29日)に配置されているが、これはもともと、2月が一年の最後の月だったときの名残りである。歴史上、暦は何度も改定されている。ロムルス暦(古代ローマ)では、1年間は10ヶ月しかなかった。当時、冬には…

【暦】2月29日生まれの人の誕生日は、2月28日である

2月29日生まれの人の誕生日は、2月28日である。これは、法律で「2月28日を誕生日とみなす」と定められているためである。そのため、道路交通法や、鉄砲刀剣類所持等取締法などの法律も、2月28日を基準として、適用するか、適用しないかの判断が行われている…

【月】昔の月は、かなり大きく見えていた

昔の月は、かなり大きく見えていた。現在、地球と月の距離は38万kmだが、月が誕生したころの両者の距離は2万km程度だったといわれている。そのため月は、現在見えているものよりも16倍以上も大きく見えた。しかし、月は1年間に3.8cmずつ地球から遠ざかってい…

【月】月にも大気はある

月にも大気はある。月の大気は、ナトリウムやカリウムなどで構成されているが、地球の大気の1兆分の1くらいしか存在していないため、「月には大気がない」と言っても差しつかえのないレベルとなっている。昔の月には大気がたくさんあった。約35億年前、月で…

【歴史】大正時代、欧米人は、肥溜めを積んだ牛車のことをハニーワゴン(蜂蜜桶)と呼び、通り過ぎるのを呆然と見送っていた

大正時代、欧米人は、肥溜めを積んだ牛車のことをハニーワゴン(蜂蜜桶)と呼び、通り過ぎるのを呆然と見送っていた。また江戸時代には、オランダ使節一行が長崎から江戸を往復していたが、牛車が通り過ぎるのを大閉口して見送っていた。江戸の町では、毎日3…

【歴史】江戸時代には、すでに歯磨き粉が存在していた

江戸時代には、すでに歯磨き粉が存在していた江戸時代の歯磨き粉は、微粒の白砂を水洗いにしたもので、これに竜脳(りゅうのう)や丁子(ちょうじ)などの香木を、粉末にして混ぜていた。また古代の遺跡(年代不明)からは、歯ブラシの原型と言えるものが出…

【歴史】誕生日ケーキには、約3000年の歴史がある

誕生日ケーキには、約3000年の歴史がある。誕生日ケーキは、古代ギリシャで生まれており、月の女神アルテミスの誕生日を祝うために、満月形のケーキを焼いたのが始まりとされている。そのため、誕生日ケーキはいまでも丸い形をしている。

【歴史】江戸の町には、すでに銭湯があった

江戸の町には、すでに銭湯があった。当時の銭湯は男女混浴だったため、男はふんどし、女性は腰巻をつけて入っていた。一般家庭に風呂が普及したのは、江戸時代後期である。一般家庭といっても、名主や庄屋、羽振りのいい商人などの家に限られており、板で囲…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その8 おまけ(年表)

EXPO'70狂騒曲 その8 おまけ(年表) 昭和42年 7月21日 三菱が日本一高い展望塔を建設しようとしていたが、空路の邪魔になるため中止となった。 昭和44年 1月6日 万国博協会が水道料金を滞納していたため、給水停止の通知を受ける。協会は頭を下げた。 昭和4…

【歴史】徳川幕府は、目安箱に投函された投書一つひとつに返答していた

徳川幕府は、目安箱に投函された投書一つひとつに返答していた。名前や住所が書かれていないなど、要件を満たしていない投書は、無責任な投書であるとして焼き捨てられた。しかし要件を満たしている投書については、その訴状を取り上げるか、取り上げないか…

【動物】サケは産卵のために自分が生まれた川に戻ってくるが、サケは嗅覚で自分の故郷を探し出している

サケは産卵のために自分が生まれた川に戻ってくるが、サケは嗅覚で自分の故郷を探し出している。カナダの魚類研究科クレーギーは、産卵のために河口近くに帰ってきたサケを捕まえて、200キロほど離れた場所に放流した。クレーギーは放流する前に、サケの群れ…

【歴史】合戦で討ち死にした者はフンドシまで剥ぎ取られていた

合戦で討ち死にした者はフンドシまで剥ぎ取られていた。1615年5月、大坂夏の陣のとき、徳川方の安藤右衛門という武者が討死した。合戦中であったため、味方の者がほんの少し死体から目をはなしていた瞬間に、甲胃、衣服、フンドシのすべてが剥ぎ取られ、素っ…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その7 さよなら万博

EXPO'70狂騒曲 その7 さよなら万博閉幕前夜。 お祭り広場で最後の催し物である「さよなら万博博」が行われた。 2~3万人が参加。いたるところで胴上げが発生。 胴上げされた女子は、スカートがめくれてパンツ丸出しだった。 アフリカ館の女性も群衆につかま…

【海外】アントニオ猪木は北朝鮮の切手になっている

アントニオ猪木は北朝鮮の切手になっている。 (出典:http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1585.html)1995年4月に平壌で行われた「平和のためのスポーツ祭典」を記念して発行された切手で、アントニオ猪木が描かれている。北朝鮮にとって、切手…

【歴史】宮本武蔵の名は、もともとは無三四だった

宮本武蔵の名は、もともとは無三四だった。宮本武蔵の父・宮本一真は、傲慢な性格で、天下に俺ほどの勇士は二人といない、という意味で「無二斎」と名乗っていた。武蔵も、父に劣らず傲慢な性格だったが、父には敬意を示していたため、二の次である三と四を…

【歴史】戦前の昆虫採集キットには、殺虫剤として青酸カリが同梱されていた

戦前の昆虫採集キットには、殺虫剤として青酸カリが同梱されていた。しかし当時は、自殺が続発していたため、それを防ぐために、昆虫採集用の青酸カリは販売中止になった(昭和11年1月)。

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その6 ついに開催された万博(どこまで続くのやら)

EXPO'70狂騒曲 その6 ついに開催された万博(どこまで続くのやら)北大阪急行(別名エキスポ急行)は、万博会場前に駅を作った。 万博終了後、駅は消滅した。太陽の塔の作者・岡本太郎氏。 太陽の塔の作成意図について。 「意味なんかあるもんか。わからんと…

【歴史】ペリー艦隊の黒船は、黒塗りの鉄船ではなくて、黒塗りの木造船である

ペリー艦隊の黒船は、黒塗りの鉄船ではなくて、黒塗りの木造船である。防水のために塗られたタールの色が黒色だったため、鉄船のように見えていただけなのだが、ペリーもそのあたりのことを十分に理解していたらしく、鉄船に見せかけるために様々な工作を行…

【法律】昔は、被疑者が犯人かどうか、くじで決めていた

昔は、被疑者が犯人かどうか、くじで決めていた。古代インド法では、正の神様(人形)と、邪の神様(人形)を、それぞれ土でできた球におさめて被疑者に選ばせ、邪の神様を引いたものは犯罪者とされていた。日本でも、湯塵の大佐衛門という人がハズレくじを…

【歴史】駄菓子屋攻略法(昭和時代)

駄菓子屋攻略法(昭和時代)。落ちているジュースのビンを拾って店に持っていくと、1本10円で買い取ってもらえた(ビン保証料)。アウトローな子どもたちは、店横に積んであった空きビンをそのまま何度も持っていって、10円玉を何度ももらっていた(その後、…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その5 ついに開催された万博(まだ続く)

EXPO'70狂騒曲 その5 ついに開催された万博(まだ続く)全パビリオン制覇には、約12回の入場が必要だった。オーストラリア館の建物を気に入り、その建物を制作したテントメーカーに就職する人もいた。ガスパビリオンには、おしりを乾かすトイレがあった。サ…

【法律】死刑執行後に生き返った人がいる

死刑執行後に生き返った人がいる。明治6年1月、石槌県(いしづちけん・現愛媛県)で紋首された田中藤作は、死体となって、家へと戻された。しかし、藤作は家へ戻ると「脈動を発し漸々蘇生」してしまう。 司法省は「ここに紋刑処分後蘇生す。また論ずべきなし…

【法律】唐(中国)の時代、親に対して悪口を言った者は絞首刑だった

唐(中国)の時代、親に対して悪口を言った者は絞首刑だった。唐の法律「唐律疏義」(652年)によると、 親が懲役中に妻を迎えた者、懲役1年 親の喪3年に服しているうちに 子を生んだ者、懲役1年 碁や将棋などの雑技をしたもの、懲役1年 道で偶然音楽を聴き…

【食物】韓国には「口に入れて深呼吸をすれば、100人中98人は気絶寸前、2人は死亡寸前」と称される食べ物がある

韓国には「口に入れて深呼吸をすれば、100人中98人は気絶寸前、2人は死亡寸前」と称される食べ物がある。その食べ物の名前は「ホンオ・フェ」。エイの刺身(ホンオはエイ、フェは刺身)と呼ばれる木浦市(もっぽし)の伝統料理である(発酵食品)。アンモニ…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その4 ついに開催された万博(続きの続き)

EXPO'70狂騒曲 その4 ついに開催された万博(続きの続き)売店で働いていた人の一日。 店長は、終日勤務。05:30 宿舎で起床 06:30 出発(早番) 07:00 万博会場到着(すでに改札には列ができていた) 11:00 遅番到着 12:00 休憩(1時間) 17:00 早番終了 22:…

【歴史】3世紀ごろ、中国ではすでにお茶が飲まれていたが、まだ「茶」という漢字は存在しなかった。

3世紀ごろ、中国ではすでにお茶が飲まれていたが、まだ「茶」という漢字は存在しなかった。3世紀半ばの辞書『広雅』によると、茶には「苦」や「茗」という漢字があてられていた。当時のお茶は、レンガ状に固めた磚茶(たんちゃ)。お椀の中に、削った磚茶を…

【食物】くさやの漬け汁は、350年以上、継ぎ足してきたものである

くさやの漬け汁は、350年以上、継ぎ足してきたものである。くさやとは、ムロアジやトビウオなどを、発酵した海水に潰け込んでから日干しにしたものである(伊豆諸島の名産)。江戸時代には海水を利用して、上質の塩干し魚をつくっていた。しかし、この地域で…

【食物】古代ギリシャの人たちは、すでにガムを噛んでいた

古代ギリシャの人たちは、すでにガムを噛んでいた。古代ギリシャの女性たちの間では、口臭予防や、歯の健康のために乳香樹(マスティック)の樹脂を噛むことが流行っていた。これは「マスティックガム」と呼ばれるもので、紀元前50年頃、ギリシャの医者ディ…

【歴史】EXPO'70狂騒曲 その3 ついに開催された万博(続き)

EXPO'70狂騒曲 その3 ついに開催された万博(続き)日本人の総入場者は、6251万人。 外国人客は、170万人。テーマソング「世界の国からこんにちは」を歌ったのは8名。 三波春夫が歌ったものがもっとも有名。 毎日新聞社の公募による作品だった。 ボニー・ジ…