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【歴史】武田信玄は、駿河国獲得後、将来の海戦を見据えて急ピッチで水軍の鍛錬を行っていたが、のちに信玄の戦術は日本海軍に採用され、日本海海戦でバルチック艦隊を破った

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武田信玄は、駿河国獲得後、将来の海戦を見据えて急ピッチで水軍の鍛錬を行っていたが、のちに信玄の戦術は日本海軍に採用され、日本海海戦バルチック艦隊を破った。

信玄の海上作戦計画は、孫氏の兵法をベースとした信玄独自のもので、日本海軍の元帥である東郷平八郎は、信玄の兵法を深く研究していた。

信玄考案の陣形は「天地人の備え」と呼ばれ、船隊を3つに分け、1隊は正面から、他の2隊は左右から敵の側面を突くものだった。
悪天候時は「陰陽の備え」と呼ばれる陣形に変更し、1隊は正戦、もう1隊は奇襲攻撃を行った。

また別の書籍には、日本海軍は、戦国時代に瀬戸内海を統治した村上水軍の兵法を研究し、バルチック艦隊を破った、という記述もある。

これは、どちらの説が正しいか、という話ではなくて、日本海軍は古今東西の海戦で用いられた戦術を研究していたため、それらがミックスされて「東郷ターン」からの「丁字戦法」という日本海海戦の戦術が生まれたのではないかと考えられる。

これらの詳細は『旧海軍大学校図書』に所蔵されている「東郷文庫」に詳しいとされているが、この書籍は海上保安大学校保有しているので、簡単には閲覧することができない。