ローマの遺跡フォロ・ロマーノは、西ローマ帝国崩壊後、ずっと牧草地だった。
西ローマ帝国が崩壊したのは、476年。
その後、自然災害や風雨などにさらされて崩壊していき、雑草や樹木の茂る廃嘘となった。
ルネサンス時代には、歴代の教皇たちが競い合うように新たな建造物を建てたため、古代遺跡は採石場となり、彫像や列柱など数多くの大理石が持ち出された。
1786年、文豪ゲーテが訪れた時には、荒れ果てた牧草地で、半分ほど地中に埋まった遺跡が点在している場所だった。
18世紀末には、イタリアを占領したナポレオン軍により、数多くの古代ローマの遺物がフランスへ渡った(1815年のウィーン条約で返還された)。
遺跡の発掘作業が開始されたのは、1870年。
当時は「牝牛の野」(カンポ・ヴァッチーノ)と呼ばれる野原だった。
その後、ムッソリーニの時代に発掘作業が一気に進み、現在のような観光地となった。
ちなみにフォロ・ロマーノとは「ローマの広場」という意味で、人々が都市生活を送るための共同の場所、という意味である。