参勤交代が行われていたとき、ある大名は、途中で旅費がなくなったため、泣いていた。
泣いたのは、出羽・鶴岡14万石の藩主酒井忠徳。
江戸からの帰還中、福島に滞在しているときに、会計係の役人が旅費がつきたことを告げると、忠徳は「わずか百余里の旅費さえ出来ないほどなら、とても戦争の役には立たない」といって泣いた。
仙台62万石の藩主・伊達重村も、江戸から帰国する際に旅費がなかった。
旅費がないことを知った重村は、千住(東京)にある幕府の狩猟場へとおもむき、天幕を張って、鉄砲を撃ち始めた。
その物騒な所業に、幕府側は驚いた。
慌てて駆けつけた幕府の役人に対し、重村は「旅費がないから、仙台までこうやって食料を自給しながら帰る」と放言したところ、幕府は事を穏便に済ませるために、旅費分を貸し下げた。