大坂夏の陣で大坂城は落城したが、実は、大坂城を落城させたのは、大坂城を作った豊臣秀吉自身だという説がある。
大坂城が完成したとき、秀吉は徳川家康を連れて大坂城を案内していた。
そして、秀吉は、
「たとえ日本全土の軍勢がこぞって攻めてきても、摂津一国の武士がこの城に立てこもる、攻略は不可能だろう」
といって自慢した。
すると、徳川家康は、
「お言葉ごもっとも。しかしながら、そこもと様(秀吉様)のご軍略をもってすれば、いかがでございましょう」
ときいたところ、秀吉は、
「わけはない。またたくうちに、攻め落としてみせる」
とこたえた。
「とはまた、どのようなご軍略によってでござりましょう」
「さればだな、全力をあげて攻撃したのち、いったん和睦を結んで総堀を埋めさせ、再び大軍をこぞって、猛烈に攻め立てるのよ」
それから20年がたち、家康は秀吉の言葉通りに大坂城を攻め、大坂城は落城した。
♯祝600記事目\(^o^)/。仕事が忙しくなってしまったため、一日の更新回数が二回になってしまった。しくしく。