静岡県は、明治維新のとばっちりにより、しかたなく、茶の名産地になった。
江戸時代、徳川幕府は江戸防衛のために、街道筋の川には橋をかけなかった。
また船を使うことも許されず、独力で渡ることも許されていなかったため、川を渡るためには、川越し(川渡し専門)の人夫に頼るしかなかった。
静岡県大井川でも、数多くの人夫が川越しの仕事についていた。
しかし幕府が倒れ、明治維新が起きてしまった影響で、川越しが廃止され(明治4年)、渡し船を使うようになったため、川越し人夫たちは職を失った。
職を失ったままではどうにもならないので、人夫たち800人は茶の栽培に転業し、静岡県の茶の急速な発展に貢献した。