【食物】日本で最初に売り出されたチョコレートの名称は「猪口令糖」である
(2019/12/09 新規)
日本で最初に売り出されたチョコレートの名称は「猪口令糖」である。
明治10年、東京両国の米津風月堂が「猪口令糖」または「貯古齢糖」の名称で売り出したのが始まりとされている。
(2020/01/27 追記)
チョコレートは、明治7年(1874)、岩倉遣欧使節一行が、フランスで工場を見学し、試食したのが、日本人の最初の出会いとされている(文献上)。
明治10年、東京両国の米津風月堂が「貯古齢糖」の名でチョコレートを販売したが、「牛の血が入っているそうな」という噂が広まり、売れ行きはかんばしくなかった。
明治32年、アメリカから帰国した森永太一郎が、東京溜池でクリームチョコの製造販売を始めた(森永製菓)。
明治34年に宮内省御用達となり、箔をつけることに成功、明治43年に板チョコを発売した。
板チョコの値段は、70銭(110グラム)。
当時の女子工員の時給は、4銭。
その後、チョコレートの将来性を確信した森永製菓は、大正7年に専用工場を建設、大正時代末には、明治製菓もチョコレート事業に参戦した。
ロシア革命後、チョコレートの製造技術を持つ亡命者が来日し、チョコレートの品質が一気に向上した(ロシア革命は大正6年)。
しかし太平洋戦争へと突入し、カカオ豆の輸入量が少なくなってしまったため、チョコレートは航空隊員の航空食にまわされることになった。
国民用には、その代替品として、百合根、菊芋、 小豆、 大麦、 オクラなどを原料とする代用チョコレートの研究が行われていた。