徳川幕府は、パリ万博に参加していた。
参加したのは、慶応3年(1867)3月に、パリで開かれた第5回万国博。
フランスに好意を持っていた江戸幕府は、これに参加することを決め、漆器、陶器、織物など、わが国の特産品とともに、派遣団を現地に送った。
派遣団一行は、鳥帽子直衣の正装で参加していたが、万博開催中の10月14日に大政奉還が起きてしまったため、一行は、帰りの船貨の調達ができず立往生した。
仕方がないので、一行は出品物を現地で売り払い、売上を旅費にあてて帰国した。
ちなみに、万国博覧会の「博覧会」(exhibition)という言葉は、外国奉行・栗本鋤雲(じょううん)による訳語である。