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【歴史】EXPO'70狂騒曲 その7 さよなら万博

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EXPO'70狂騒曲 その7 さよなら万博

閉幕前夜。
お祭り広場で最後の催し物である「さよなら万博博」が行われた。
2~3万人が参加。

いたるところで胴上げが発生。
胴上げされた女子は、スカートがめくれてパンツ丸出しだった。
アフリカ館の女性も群衆につかまり、胴上げされた。

ホステスは感激して、みんなにお別れのキスをしていた。

手をつないだり、肩を組んだりしながら、みんなで「蛍の光」を大合唱。
電光掲示板には「さよなら」の文字が踊り、巨大ロボット・デメが奇妙な声で「みなさん、長い間かわいがってくださってありがとう」とあいさつをし、水面には、仕掛け花火が輝いていた。

閉幕日。

午前10時。
閉幕式とパレードが行われた。

観客は、パビリオン見学や食事も放り出してパレードに殺到した。
ホステスたちは、進行表を無視してロイヤルボックスへ突進し、皇太子夫妻に次々とカーネーションの花束を渡していった。

イタリア館のホステスは、握手をしすぎて手が真っ赤になっていた。
万博通い81回という猛者は、仲良くなった外国館ホステス5人から、ほっぺにキスをもらった。
ハワイ娘は「アロハ」と叫んだ。
エチオピア館のマレーさん(25)は母国語で「なぜ、なぜ」と叫びながら知り合いの女性に抱きついていた。

午後5時。
オーストラリア館の館長は、ホステスたちに捕まり水槽に放り込まれた。
今度は、ホステスたちがホストに捕まり、水槽に放り込まれた。
その後、ホステス、ホスト、観衆が入り乱れながら、握手や抱擁を行った。

午後7時過ぎ。
8万2千人の観衆が残っていた。

太陽の塔のそばにある「母の塔」から「さよなら」という垂れ幕を下げたところ、観衆が寄せ書きを書き始めた。

その日の夜、お祭り広場で予定されているショーは何もなかった。
3人の若者が地面に座り、ギターを鳴らしたところ、たちまち100人くらいの観衆が肩を組んで輪になり、「しあわせなら手をたたこう」と歌いだした。

観衆はすぐに膨れ上がり、3000人もの人々が次々と歌を歌っていき、「ジェンカ」や「トロイカ」などが歌われた。
歌声は閉門ぎりぎりまで続いた(閉門は22:30)。

人々が万博ではじめて知ったもの。

  • ケンタッキー・フライド・チキン
  • クレープ
  • 洋式トイレ
  • コインロッカー
  • フランスパン(ドンク)

コンパニオンの服装が、その後の銀行員やOLの制服のデザインに影響を与えた。

スパゲッティ・ナポリタンも、万博の影響で誕生したものだと言われている。
風営法の関係で、スナックのほうが許可を得やすかったため、スパゲッティを炒め、ケチャップをまぶしたスナックタイプのスパゲッティが誕生した。

アメリカ館のホステスの話。
日本人は、スタンプとサインのために会場に来たとしか考えられない。
「来るために来た」だけ。
一人にサインをすると、次々とサインを求められ、12時間も解放されなかった。

外国パビリオンのスタッフの話。
何を聞かれても答えられるように、しっかりと勉強してから万博にのぞんだ
しかし、来場者は「見る」ためだけにやってきていたため、誰も何も聞いてこなかった。

大韓民国館のスタッフの話。
茶店やレストランで、若い女性が椅子に座って足を組み、タバコを吹かしている姿に驚いた。

スイス館のスタッフの話。
日本人は親切で行儀正しいというイメージだった。
しかし団体客は乱れに乱れていた。

モーリシャス館のスタッフの話。
お客は一人だとお行儀が良いのに、団体になるとなぜ悪くなるんでしょう。

カナダ館のホステスの話。
会期中に、一度だけ質問されました。
Do you speak English? って。

万博後、百貨店では「ポスト万博バーゲンセール」を行った。
展示品の約70%がこのルートに流れた。
デパート側の買取価格は、数十億円。

一部のパビリオンは、他の場所へ移築された。

スカンジナビア館は北海道へ移築された。
移築費用は2億7千万円。
スカンジナビア館の建築費は、4千万円だった。

アイルランド館は、諏訪市のガソリン業者が引き取り、ガソリンスタンドになった。

オーストラリア館は、オーストラリア首相が勝手に「三重県に寄贈する」と言ってしまったため、三重県に移築された。
三重県側は反対したが、結局、4億数千万円もの移築費を捻出して、オーストラリア館を引き取った。

アメリカ館は、1ドルで売っていた。
しかし移築費用に数千万円がかかるため、買い取り手が現れず、パビリオンは処分された。

パビリオンを解体する方法は、ほとんどの人が考えていなかった。
ソ連館の解体には、ワイヤーで引っ張って引き倒す案が浮上したが、危ないので中止された。

会場の解体シーンは、雑誌やニュースでたびたび紹介された。

モノレールは、多摩ニュータウンへ移築された。

以下は、様々なエピソード。

万博ホールの館長は、酔っぱらってパンツ一丁で池を泳いだ(9月13日)。

北大阪急行中央口駅の駅長は、電車賃が足りないと言ってきた乗客全員にポケットマネーで足りない金額を渡していた。
お金を渡した数、数百人。
95%が礼状つきで返金してくれた。

チェコスロバキア館は、客足が悪く、赤字続きだった。
経営者は、5千万円の負債を抱え、逃亡した(9月16日)。

会期中、パリの旅行会社2社が倒産した。
旅行客200人から、往復分の飛行機代を受け取っていたにもかかわらず、片道分しか手配しておらず、計画倒産した。
旅行客200人は、帰路訪れた羽田空港でそのことを知り、呆然とした(9月16日)。

万博の利益は164億円。
それに浮かれて、関係者各位に記念メダルが贈呈された。
記念メダルの製作費用は5千万円。

小学生の作文。
万博の標語「進歩と調和」というのは「オートメーション」のことですか?

昭和35年生まれの人の話。
その後、何が出てきても、万博の時あったよなあ、と思うものが多い。
携帯電話の普及によるお下劣なマナーが問題になるような「見苦しい未来」は予想されていなかったから、あの1970年に6か月だけあった「すばらしい世界」は「到達できないからこそ美しいままである」のかもしれない。