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【歴史】太平洋戦争末期、日本軍は秘密兵器として風船爆弾を開発していた

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太平洋戦争末期、日本軍は秘密兵器として風船爆弾を開発していた。

風船爆弾とは、爆弾や焼夷弾のついた気球で、日本沿岸から放流してジェット気流に乗せ、アメリカ本土を攻撃するというものだった。

9000個が放流され、約50時間をかけ、アメリカ本土を空襲した。

本土にたどり着いた風船爆弾は、300個前後。

爆弾により6人が死亡、送電線を破壊して、原子爆弾の製造を3日間遅れさせたりした。

また日本側も放流時に爆発事故があり、3人が死亡している。

気球にはバラスト砂というものが取りつけられていた。

バラスト砂は風船爆弾の浮力を調節する役割を果たしており、気圧の変化を検知して自動的に砂を落とし、風船爆弾の高度を維持した。

アメリカ側は、バラスト砂を分析し、製造地や放流地を探り当て、その後の風船爆弾は放流直後に撃ち落としていた。

ちなみに、風船爆弾によって亡くなった人々は終戦後に亡くなっている。

終戦後、オレゴン州の森にピクニックに出かけた牧師夫人と、日曜学校の子ども5人の計6人が、木に引っかかっていた不発弾に触れて亡くなっている。

当時米国は、 完全な報道規制を敷いていたため、風船爆弾の存在が知らされていなかったために起きた事故だと言われている。

オレゴン州には、今でも死亡者の記念碑が残っている。

ちなみに、風船爆弾の気球部分は、和紙にコンニャクのりを塗って作られていたため、国民の食卓からコンニャクが消滅していた。