徳川幕府は、目安箱に投函された投書一つひとつに返答していた。
名前や住所が書かれていないなど、要件を満たしていない投書は、無責任な投書であるとして焼き捨てられた。
しかし要件を満たしている投書については、その訴状を取り上げるか、取り上げないかの採否を行い、取り上げない場合は、投書人を呼び出し、取り上げなかった理由を一つひとつ説明していた。
投書者の住所が遠国の場合は、その地の領主や代官を通じて、同様の手続きを踏んだ。
投書人が現れない場合でも、5ヶ月間(計15回)は、評定所前で投書人がやってきていないかどうか確認しており、幕府側から一方的に投書を破棄することはなかった。