江戸時代、飴をかつぎ歩き、キセルなどの金属と飴を交換する「とっかえべえ」(取り替えよう)と呼ばれる人たちがいた。
ロウソクから流れ落ちたロウを集めてロウソクを作り直す「ロウソクの流れ買い」と呼ばれる人たちがいた。
ロウソクは油を用いた行灯(あんどん)よりも3~5倍明るかったため、値段も高く、庶民にとっては贅沢品だった。
灰を売り買いする商人もいた。
灰屋紹由(はいやしょうゆう)という豪商は、藍染の触媒に用いる灰を売り買いして巨万の富を築いた。
またアルカリ性である灰は、水に溶かすと石鹸と同じ作用を生むため、食器の洗剤としても使われていた。
人の髪の毛を買い取る「おちゃない」(髪の毛の落ちはないか)と呼ばれる人たちもいた。
買い取った髪の毛はカツラを作るのに使われていたが、当時のカツラには、馬など、動物の毛も使われていた。
鏡を磨く人たち(鏡磨ぎ)もいた。
当時の鏡は、ガラス製ではなく銅製であったため、一年に一度くらいは表面を磨く必要があった。
楊枝(ようじ)店の売り子には、若い美人が多かった。
浅草寺境内の楊枝店に勤めていたお藤という娘が、錦絵に描かれるほどの美人だったため、他の楊枝店も負けないように美人の売り子を置くようになった。
そのため、美女を目当てに訪れる男たちも多く「ようじ屋に用事もないのに腰をかけ」という川柳が生まれた。
江戸の人々は、毎日銭湯に通っていた。
二階には休憩所があり、男どもがそこで休憩をとっていたが、二階からは女湯がのぞき見できるようになっていた。
水茶屋と呼ばれる喫茶店もあった。
美人の茶くみ女を置いていたため、次第に美人喫茶みたいになっていった。
麦湯と呼ばれる麦茶を出す店もあった。
歯力(はりき)と呼ばれる大道芸人もいた。
歯を使ってなんでもする人のことで、磁器の茶碗を噛み割ったり、直径六尺(1.8m)の大だらいに子供二人を入れたものをくわえて踊ったり、釣り鐘の竜頭(頭頂部分)を口にくわえて持ち上げたりしていた。
また、泥水を飲み込んで、吐き出すという芸のときには、清水と泥水を吐き分けることができた(これも歯力。歯の力とは何の関係もないが)。
お千代船、と呼ばれる腰に船をつけた大道芸人もいた。
船の長さは人の身長と同じくらいで、船の底をくりぬき、ズボンを履くように、船を腰の高さまで持ち上げていた。
船には女性の人形が乗っており、人形とともに夫婦漫才のようなことを行っていた。
ネコのノミ取りをする専門の人もいた。
しかし滝沢馬琴によると、ネコのノミ取りは江戸に一人しかいなかった。
賃粉切り(ちんこきり)と呼ばれるタバコの葉を刻む専門の職人がいた。
しかしその名称から、幾度となく川柳に詠まれることになった。
養蚕農家では、カイコを狙うネズミを退治するためにネコが飼われていた。
そのため、ネズミよけとしてネコの墨絵が珍重されるようになり、ネコの絵を描いたり売ったりする人がたくさんいた。