日本領・樺太では、タクシーのかわりに、トナカイの橇(そり)が使われていた。
トナカイの橇を交通機関として取り扱っていたのは、敷香近くに住むヤクート人。
ヤクート人とは、トナカイを飼育しながら半遊牧的生活を送る狩猟採集民のことで、日本統治時代には樺太にも住んでいた。
モンゴル系遊牧民の衣食住が、すべて羊に依存しているのと同じように、ヤクート人の衣食住は、すべてトナカイに依存していた。
そのため寒さが厳しいときなどには、トナカイの皮をかぶり、寒さをしのいでいた。
しかし、日本統治時代のころには、すでにトナカイの繁殖がうまくいかなくなっていたため、日本側は、ヤクート人のために家をたくさん建てていた。
ちなみに樺太には、原住民のオロッコ人もおり、タクシーのかわりに、犬ぞりを運行していた。