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【歴史】EXPO'70狂騒曲 その6 ついに開催された万博(どこまで続くのやら)

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EXPO'70狂騒曲 その6 ついに開催された万博(どこまで続くのやら)

北大阪急行(別名エキスポ急行)は、万博会場前に駅を作った。
万博終了後、駅は消滅した。

太陽の塔の作者・岡本太郎氏。
太陽の塔の作成意図について。
「意味なんかあるもんか。わからんところがいいのだ。わかってしまっては頭に何も残らないのだ」

そして人々の頭に何かが残ってしまったため、様々な現象が起きた。

とある少女は、夢の中に太陽の塔が出てきてしまい、おねしょをした。
3歳児は、太陽の塔の絵を描いた。
岡本太郎の作品と出会うたびに立ち止まる人が出てきた。

太陽の塔の顔面部分に籠城する人が出た(4月26日)。
その人は、太陽の塔の目玉部分にいたため「目玉男」と呼ばれるようになった(アイジャック事件)。

太陽の塔の目玉はライトになっており、夜になると点灯することになっていたが(アイ・ビーム)、使用すると目玉男が焼け死ぬ恐れがあったため、籠城中は点灯できなかった。

結局、目玉男は8日間籠城して逮捕された(5月3日)。
逮捕時、水用タンク(8リットル用)、トイレットペーパー1巻などを所有していた。
食料は持っていなかった。

籠城に関する逸話。

太陽の塔の下で待機していた警察官は、目玉男の小便を浴びた。
白い紙が落ちてきたので確認すると、大便が入っていた。

警察は、目玉男の名前を知らなかったので、適当に「佐藤」という名前をつけて、「佐藤君、やることはやった、早く降りてこい」などと言っていた。
逮捕後に確認された目玉男の本名は、佐藤英夫だった。

逮捕時の罪状は、建造物侵入の現行犯。
その後、法学部の学生にとっては、「太陽の塔に侵入したのは『建造物侵入にあたるのか』」の判例でおなじみになる。

会場内にはモノレールが走っていた。
無人で定速運転、定位置停車のモノレールは世界初だった。
モノレールのレールは、他から輸送することができなかったため、会場内で作成した。
もちろん、モノレールに初めて乗る人も多かった。

動く歩道は大人気で、乗るための行列ができていた。
そのため、動く歩道に乗らないほうが、目的地には早く着いた。
また阪急梅田駅には、すでに動く歩道があったため、地元の子供は、動く歩道を見て驚く人のことを田舎者だと思って見ていた。

ロープウェイのゴンドラは、床が透明になっていた。
当時はミニスカートが流行していたため、ゴンドラの下にいる人たちは、女性のパンツがよく見えた。

会場入り口に置かれていた、迷子防止用のワッペンが数千枚単位で盗まれたことがある。
その後、ふろしきでワッペンを持っていこうとする男を係員が発見、確保された。
男の談話「近所に、万博博記念として配ろうとしていた」

広島県因島では強盗が発生した(9月4日)。
逮捕されたのは中学生2人。
犯人の談話「万博博へ行きたかった。金がないため強盗した」

万博会場内に出店する飲食店の出店競争も、し烈だった。
1平方メートル当たり、130万円の値段がついた場所もあった。

来場者が人生で初めて口にしたもの。

  • サンドイッチ
  • エスニック料理
  • ホットドッグ
  • カップヌードル
  • ポルトガル料理(フルコース)
  • セイロンティー(まずかったと回答)
  • クワスソ連の飲料・まずかったと回答)
  • スイスのソーセージ(巨大すぎて度肝を抜かれた)
  • フランスパン
  • アジア各国のカレー
  • カレー(生卵入り)
  • 外米(まずかった、でもよい経験と回答)

レストランでの食事。
関西人は、みんな「高い、まずい」と言っていた。

特に外国館の料理は「たかい」「おそい」「まずい」という悪評判を受けていた。
そのため、万博協会はすべての食事の値段を値下げするように指導。
しかし店側もそれだと利益が出ないため、そのぶん量を減らした。

料理名も風変りだった。

  • アポロ12号餅 100円
  • 万博お祭り定食 300円
  • アポロランチ 200円
  • 宇宙コース 250円
  • 万博ずし 200円
  • 調和どんぶり 250円
  • アトムランチ 300円

自宅でおにぎりを作っていった家族。
全員が食中毒になり、救急車で搬送された(万博開催中、一番暑かった日に発生)。

ケンタッキー・フライド・チキンも売っていた。
当時はだれもその存在を知らなかった。

お祭り広場では、象が行進した(8月13~20日
朝から晩までショーを行っていたため、象も疲れ果てていた。
小象は3日間寝込んだ。
象使いは「象はノイローゼだ」と言っていた。

小象4頭の名前は「バン」「パク」「エキス」「ポー」
また、ショーが行われている期間中に小象が1頭生まれた。
名前は「ヒロバ」
ヒロバは母親とともに本国(タイ)へ帰ったが、バン、パク、エキス、ポーは、日本に残った。

会期中は、万博職員によるストライキが無数に発生していた。

  • エキスポ総合労組113人(4月中旬以降、何度も発生)
  • ラテナ・マジカ(魔法のランプ)劇場で働く40人(5月下旬)
  • 電気自動車オペレーター労組153人(6月6日)
  • 協会事務局の職員組合(6月6日)
  • エキスポタクシー70台(6月6日、6月12日)
  • 情報センター64人(7月12日)
  • エキスポ総合労組自動車館支部50人(7月25日)
  • エキスポ総合労組日展支部13人(7月25日)

夜間入場者が30万人を超えたとき、交通機関が不足して、最終電車にも乗れなかった人たちが数万人も出た。
電車に乗れた人も梅田に着くころには他のすべての電車が営業終了となっていたため、立ち往生した。

夜間の臨時便を運行していた阪急電車から、次々と人が運ばれてくるため、深夜の梅田は大混乱に陥った。
梅田の警察署(曽根崎)を訪れた人は1000人。

会場内に残された人々は、毛布にくるまり、太陽の塔の下で寝た(4000人)。
翌朝、アメリカ館にすぐに入ることができたため、ラッキーだった。