昔は、形見分けというものがなく、その人が死んだら、その人のものはすべて処分することになっていたため、人々はすべてのものを処分したし、天皇家は都ごと処分した。
そのため、古代では遷都が頻繁に行われていた。
死は汚れであり、不吉なことであり、そういう不吉な霊魂の宿っているものと絶縁するために、廃棄が行われていた。
子供が死ねば、その子が持っていた玩具を焼いたし、狩猟者が死ねば弓や矢を処分したし、貴族が死ねば車や身の回りの品を焼くとか埋めるとかした。
アイヌでは、一家の長である女性が死ぬと、小屋を焼いていた。
死者が飼っていた馬や牛などの生き物は、放してやるか、他家のものと交換した。
このような風習は世界的にも多く見られており、チベットなどでは、死者に向かって「おまえのものはみんななくなった」と宣言することで、けがれとの決別をはかっていた。
古墳に埋葬されている副葬品は、死者の国へ旅立つ者のための路銀(お金)とされているが、もともとその人が所有していたものを一緒に埋めて処分しているだけ、という話もある