大正時代、欧米人は、肥溜めを積んだ牛車のことをハニーワゴン(蜂蜜桶)と呼び、通り過ぎるのを呆然と見送っていた。
また江戸時代には、オランダ使節一行が長崎から江戸を往復していたが、牛車が通り過ぎるのを大閉口して見送っていた。
江戸の町では、毎日300トンの肥えが発生し、町中を往来していた。
その肥えも、近隣の畑などにまかれていたため、風向きによってはひどい悪臭が漂っていた。
しかし肥えを定期的に処分していたため、江戸の町では大規模な疫病は発生しなかったと言われている。
ヨーロッパでは、窓から大便を投げるなど、非衛生なことを行っていたため、ペストが大流行した。