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【歴史】EXPO'70狂騒曲 その3 ついに開催された万博(続き)

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EXPO'70狂騒曲 その3 ついに開催された万博(続き)

日本人の総入場者は、6251万人。
外国人客は、170万人。

テーマソング「世界の国からこんにちは」を歌ったのは8名。
三波春夫が歌ったものがもっとも有名。
毎日新聞社の公募による作品だった。
ボニー・ジャックスが歌ったバージョンのB面には、「オバQ万博へ行く」という曲が入っていた。

自動改札機を初めて経験する人もいた。
初めて外国人を見る人も多かった。

万博からの帰り道で迷子になったニュージーランド人。
道を歩いていた日本人に、英語で「ここに帰りたい」と言って、ホテルのマッチを見せたところ、「ありがとうございます」と言われて、マッチを持っていかれてしまい、唯一の手掛かりを失った。

アメリカ館は入るのに4時間待ち、月の石が見られるのは3秒。

ソ連からの観光客が、万博を訪れたあとに亡命した(6月29日)。
チェコスロバキア館で働いていたコックが、西ドイツへと亡命した(8月14日)。

チェコ大使の山高帽が盗まれる事件が発生した。
犯人は、山高帽をかぶって会場内を散策していたため、すぐに捕まった(4月9日)。

アフリカブースでは、盗難が相次いでいた。
ルビーの原石が盗まれた(3月17日)。
象牙製の民芸品が盗まれた(3月22日)。
絹の敷物、草かご、牛の木彫り、木の実も盗まれた。

フランス館には、30秒に一回、香水が噴射されるコーナーがあった。
手持ちのハンカチにかける人もいた。

ギリシア館には、アポロ11号が月面着陸したときの写真が展示してあった。
アポロはギリシア神話の英雄の名前であるため。

インド館で初めてナンを食べた人もいた。
インドカレーは750円。

中華民国(台湾)館で、蒋介石総統の大判カラーパネルをスパナで攻撃する人が現れた(3月16日)。
当時、日中間には国交がなく、中華民国外交ルートが存在していた。

酒に酔ったベトナム帰休兵(アメリカ人)二人が、「ベトナムに帰りたくない」と暴れた(6月5日)。

カンボジアでクーデターが発生した(3月18日)。
カンボジア館の入口正面には、殿下や皇太后の写真が飾られていたが、3日後の夜に撤去された。

香港政庁館でも盗難が発生した(4月29日)。
ヒスイの指輪、ブローチ、指輪、ネックレス、耳輪、メキシコオパール猫目石が盗まれた。
プラスチックケースの中に入れて展示していたが、プラスチックが薬品で溶かされていた。

コンパニオンという言葉が登場した。
当時は、新鮮な言葉だった。

会場には、様々な国の外国人がたくさんいた。
子供にとっては、外国人はみんな「アメリカ人」だった。

日本人のホステスは3000人。
エキスポシスターズは、女性警備員。
エキスポフラワーズは、入改札係。
エキスポエンジェルスは、来場者の世話。
データスワローは、電子計算機の操作。
エスコートガイドは、パビリオン担当(エリート)。
通訳ホステスもいた(エリート)。

容姿に自信のある女の子たちは、ホステスになるために、こぞって応募した。
かなりの競争率だった。

募集人数58人の鉄鋼館には、3484人が応募した(合格率1.7%)。
元ホステスは、ホステスになれたことを、万博後も自慢した。

ホステスに合格した人たちは、1年前から研修を重ねていた。
自衛隊体験入隊したり、夏季合宿を行ったりしていた。
護身術として、空手をみっちり3週間練習した。
万博を見物することが目的でホステスになった人は、万博をひと通り見終わったら、すぐに辞めた。

ホステスや職員、パビリオンの外国人など、職員たちの間でカップルが無数に誕生していた。
できちゃった結婚をした人たちもいた。
当時、そちらの方のエキスポは「セクスポ」と呼ばれていた。